応援隊・支援員インタビュー「土と風‐地域を耕す人びと-2014-」  Vol.12女川地区

地域住民・阿部りえさん(46)
〔プロフィール〕女川町出身。地域福祉センター内の子育て支援センター勤務。震災の津波でご両親を亡くし、実家も流失した。

地域住民・平塚利里さん(46)
〔プロフィール〕地域福祉センター内の子育て支援センター勤務。小乗仮設住宅在住。

女川地区復興応援隊・宮里彩佳さん(27)
〔プロフィール〕1987年3月女川町出身、在住で、女川さいがいエフエムで「おながわ☆なう」のパーソナリティーを務める。方言を多用し、地域に密着した内容の放送を心掛けている。


真の復興へ歩む町
みんなの心をラジオが繋ぐ

放送をする人も聴く人も
一緒に辛さを乗り越えた

―どのような活動をされていますか?

宮里彩佳(以下宮里)さん 「2011年4月に臨時災害放送局として立ち上がった「女川さいがいエフエム」のチーフディレクター・アナウンサーをしています。震災以前にネットを使って自分の番組を配信していたことで、スタート時に知り合いから声を掛けてもらったんです。高校時代も放送委員会で、制作に携わりたいと思っていたので参加しました。

当時は高校生も含めて10人くらいがボランティアで集まりました。親や友達を失くした心の痛みを抱えながら、ここで今生きている私達が女川で生きて暮らしている人たちに対して何かできることはないのか。そんな思いだったと思います。

避難所ではみんな放送を聴いてくれていました。役場からの支援金などに関する情報など生活に必要なことを知るというだけでなく、プライバシーもないような非日常の中で、ラジオから楽しくおしゃべりする声や曲が流れて来ることに「日常」という感覚を取り戻すことができたようなんです。「ラジオを聴くことで、なんとか平常心を保っていられた」という人もいました。

とにかく楽しく聴ける内容にしたいと、自衛隊支援のお風呂情報では「今日はラベンダーの香りの温泉です」と伝えていました。要は温泉の素なんですが(笑)、「じゃ、行ってみっか」と楽しめる気分になればと思って。

選曲には気を遣いましたが、聴いてくれている方が「歌っていいよね」と言ってくれたことも励みになりましたね。避難所ではラジオしか娯楽がないし、何気なく耳にした歌に癒されたりしたのかもしれません。今はお魚市場の情報や町民が出演するインタビューなど、町や暮らしの楽しい情報を伝えています。」

水産の町・女川の新ブランドの情報を発信
宮里さん「女川地区復興応援隊では、女川町と、復幸まちづくり合同会社が進める復興プロジェクト『女川ブランドの復幸による観光まちづくり』を支援しています。私は、エフエムやイベントを通して女川の情報発信することが役割。例えば、女川で水揚げされた海産物を使って作られた水産加工品ブランド『あがいんおながわ』は、女川の基幹産業である水産業の復興が目標。情報発信することで、販路を広げ、女川のブランドイメージをつくることを目指しています。

『女川カレー』という商品もあるのですが、これが美味しくて、番組の中でもことあるごとに食べて宣伝しています(笑)」

阿部りえ(以下阿部)さん「私は2012年5月にオープンした女川町子育て支援センターで勤務しています。子育て中の親とお子さんが気軽に来て遊んだり、交流したりできる場所で、季節の行事ごとにイベントを開催して楽しんでもらっています。

お母さんたちと一緒に小物作りをすると、細かい作業になるほど没頭してやっているんです。育児に追われるお母さんたちが、時間を忘れて夢中になれる場所なんですね。育児を離れてリフレッシュしてもらおうと、お子さんの一時預かりでは、預ける理由は聞かないことにしています。」

平塚利里(以下平塚)さん「私は震災当時、石巻の日赤病院で医療事務の仕事をしていました。次々と病院に来る目の前の患者さんを助けなければと、戦場のような日々でした。当時小学6年、中学校2年の子どもたちとも連絡も取れないまま働きましたね。

阿部さんとは、下の子どもが保育所園に通っていたときのママ友。2014年2月に子育て支援センターのスタッフ募集が出ていたので、阿部さんに電話してみたら開設当初4人いたスタッフが辞めて、一人でやっていることが分かり、私も日赤病院を辞めてこちらで勤務することにしたんです。」

―お2人と宮里さんの関わりは?

阿部さん「もともと宮里さんと私の実家はお隣同士。年齢の差があるので一緒に遊んだわけではないのですが、宮里さんが子育て支援センターのイベントの取材に来られて以来、改めて話をするようになりました。

ラジオは毎日仕事の合間に聴いています。頻繁にリクエストもしているんですよ。津波で亡くなった両親が大好きだった歌を誕生日にリクエストしました。甥っこ(が生きていたら)の20歳の誕生日にも、好きだった曲をリクエスト。普段ラジオを聴かない姉も号泣しながら聴いていました。自分の身近なところに地元ならではのラジオがあることを本当にいいなと思えるようになりました。」

平塚さん「毎日の生活の癒しですよね。今日の学校の給食情報なんかもあっておもしろい。子どもがどんな給食を食べているのか、聴いていれば「今日、給食でもカレーだったよ!」なんて夕飯のときに言われなくても済みます(笑)。」

宮里さん「全国的にも給食の情報は珍しいみたい。子どもがいない家庭も夕飯の献立の参考にしたりしているみたいです。」

平塚さん「宮里さんが方言で話しているのもいいですよね。女川の方言はここのラジオでしか聴けないですよ。私は結婚して20年ほど前に女川に来たのですが、おじいさん、おばあさんが話す方言を懐かしく思い出せます。」

宮里さん「県外の女川出身の人がインターネットラジオで方言を懐かしく聴いてくれているみたいです。『腹走る(お腹を壊す)』とか、『はこまずら(箱のまんま全部)』とか、町外の人や若い人に「何それ?」といわれるような面白い、ここでしか通じない方言もどんどん使って、女川を身近に感じてもらえればいいなと思っています。」

町民と共に
「女川で良かった」と思える復興へ

―これからの活動の目標は?
宮里さん「イベントの大小に関係なくみんなが楽しいと思える情報を拾って伝えていきたい。自分たちがいいと思ったものを楽しんで伝えれば、女川の町の楽しさが伝わると思います。PRという形でなくても、女川ってどんなところだろうと興味を持って訪ねてくれるようなきっかけ作りが出来れば、交流人口も増えるのではないかと思うんです。

女川さいがいエフエムには、町長が自ら話す番組があります。震災後に町長になった方で、若くて思いが熱い分、年配の方には頼りなく感じたり、復興のスピードが早すぎると感じたりすることもあるようです。自分も含め、復興が進むことを願いながらも、変わっていく将来に不安になることもあります。だからこそ、町長は自ら語り、情報発信をしようとしているのだと思います。

私達も町と連携して、復興へみんなが思いを一緒に進んでいけるよう、町内外のリスナーと繋がりながら女川の情報発信をしていきたいです。」

阿部さん「宮里さんがこれまでやってきたことの意味は大きいと思いますよ。町は変わっていくけど、ラジオは今の生活のことや復興の新しい情報だけでなく、思い出も共有できる。生まれ育った女川が津波で壊滅状態になった姿をみて、いろいろ大変な思いをしてきたけど、でもいつかみんなで「女川で良かった」と言いたいですね。」

以上

2014年12月取材

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