応援隊・支援員インタビュー「土と風‐地域を耕す人びと-2014-」  Vol.14南三陸地区

南三陸福興市実行委員会 実行委員長 山内正文さん(65) 【プロフィール】1949年5月生。宮城県南三陸町出身。株式会社ヤマウチ代表取締役社長。鮮魚店・鮮魚加工業を営む。 南三陸地区復興応援隊 宮本隆之さん(28) 【プロフィール】1986年10月生。宮城県出身。2013年7月より復興応援隊となり、福興市の担当となる。 「福興市」を舞台に、 “なんでもやってみる精神”で 南三陸町を盛り上げる 南三陸町「福興市」を企画運営する ― どのような活動をなさっているのでしょうか。 山内さん 「南三陸福興市実行委員会の実行委員長を務めています。福興市は、東日本大震災1ヶ月後より行っています。『ぼうさい朝市ネットワーク』※に参加していたことにより、加盟している商店街からの協力が得られたため、震災後すぐに大きな規模で開催できました。私は福興市立ち上げの中心に立っており、毎回の出展者との連絡調整や、全国からの問い合わせ対応などを行っていましたが、非常に労力のかかることでした。現在、福興市は南三陸町の観光協会が事務局となり、開催しています。この市を応援隊が担ってくれるようになったことに、安心と期待を持って見守っています。」 宮本さん 「南三陸地区復興応援隊としての私の担当は、月に1回開催される福興市の運営です。福興市の年間計画から始まり、毎月のテーマ企画、実行委員会開催に係る準備、各種機関への許可申請、出展者、ステージ発表者との連絡調整、当日の運営など、福興市開催に関するすべてのことを担っています。」

山内さん「私は、実行委員のみなさんが挙げてくれた企画が良いと思ったら、即断即決でGOサインを出すようにしています。」 ※「ぼうさい朝市ネットワーク」 全国各地の商店街をネットワーク化し、商店街、町内会、自治体等による「ぼうさい朝市(もしくは昼市)」と銘打ったイベントを通じ、防災意識の向上と顔の見える人間関係を構築するもの。地域と地域のまちづくりを「物流と防災」で横に結ぶネットワーク型の地域活性化ビジネスモデルを構築し、いざという時には混乱する被災地に対して、「災害時の隣から支援」方式の採用をネットワーク各地で確認している。 (内閣府 地域活性化総合情報サイト 地域活性化ニュースより抜粋) http://www.chiiki-info.go.jp/backnumber/local/detail/110422_1.html 仙台出身の自分が 何かしなければという想いで応援隊に ― 宮本さんはどうして応援隊になられたのでしょうか 宮本さん 「純粋に、復興に携わりたいと思ったからです。私は仙台市出身。大学は東京の大学へ進学し、神奈川県川崎市から通っていました。そして、大学在学中に東日本大震災が起こりました。仙台出身の自分が何もしないわけにはいかないと思い、応募に至りました。 応募する決め手となったのは、2013年4月に仙台で開催された福興市に参加したことです。外部から支援活動をしに来ている人たちを目の当たりにし、自分も運営に関わることで、復興の担い手になりたいと思いました。」 好青年で段取り上手の宮本さん、 町内で知らない者はいない山内さん ― お互いどのような印象をもたれましたか 山内さん「私が宮本さんと初めて話したのは、彼が復興応援隊になった直後の実行委員会。素晴らしい好青年だと思いました。働きぶりを見ても、実行委員会の運営を安心して任せられるので、とても優秀だと感じています。委員会の参加者は皆忙しい人ばかりなので、段取りから当日まで臨機応変に幅広い対応をしてくれるのは素晴らしいことです。」 宮本さん「南三陸町の人であれば、誰もが山内さんのことを知っています。商店街のネットワークがあり、1万5千人の町民のうち、1万人は知り合いだそうです。このような背景もあり、何かするときはすぐに協力者が集まるので、尊敬しています。また、毎回のイベントの資金繰りは課題のひとつですが、山内さんが運営に必要な資金を集めてきてくださるので、その点もすごいなと思います。」 漁港での花火大会が一番の成果 ― どういったことを乗り越えてこられたのでしょうか 宮本さん「2014年の夏祭りの際に、漁港で花火を上げることができたのが一番の成果です。今回の花火大会は、開催場所を東日本大震災以前と同じ、海岸で実施しました。私たち事務局は、関係各所から花火の打ち上げ許可をもらうことに苦慮しました。震災後は、漁港が整備されている状態ではないため、安全性に課題があり、消防署や警察署はどうしても慎重にならざるを得ない状態です。許可申請の時には、各種許可を出す側の意見と、実行委員会側の意見をどちらも取り入れることを心掛け、なんとか許可をもらうことができました。花火が打ち上がり、観客から大きな拍手が起こったときは、本当にホッとしました。」 山内さん「許可が下りるまでは、宮本さんには何度も各種機関に通ってもらいました。夏祭り当日、何事もなく観客が楽しんでくれたのが、最高の報告になりました。」 これまでやってきたことを継承し、 新たな工夫、力の集結を ― 応援隊への期待、要望についてお聞かせ下さい 山内さん「これから応援隊にやってほしいことは、福興市を継続して行っていくことです。毎年年度初めには、年間計画を作成しています。応援隊には、盛り上げるための、情報収集と、工夫を凝らした企画を次々に出してもらっています。毎月行うイベントなので、1ヶ月後はすぐにやってきます。そのような慌ただしい中でも新しいアイデアを出し続け、イベントを進めていってほしいです。一番の目的は、このまちに沢山の人々に来てもらうことです。そのために、みんなで力を合わせてやってほしいと思います。」 1キロメートルののり巻き。三尺玉のでっかい花火 “ワクワク感”を地元の人々へ ― 今後の目標、展望を教えてください 宮本さん「これからの展望は、福興市をとにかく続けることと、飽きられないものをつくっていくことです。目的は達成したのではという声もある中で、次は何があるのだろうというワクワク感を大切にしたいです。」 山内さん「復興の暁には、私は1キロメートルの、長いのり巻きをみんなでつくりたいと思っています。町民みんなが何かやりたいと思っているのは、常日頃から感じています。」 宮本さん「私は、三尺玉くらいの特大の花火を打ち上げたいですね。また、町外の方だけでなく、地元の人がより多く参加してもらえるものにしていきたいとも思っています。東日本大震災以前に行っていた、地元の住民が多く参加するイベントも福興市に組み込んで実施しています。」 山内さん「地元型のイベントは、地域の担い手育成の面でも重要なポイントです。震災以前は、イベントの運営や出展時の店番を行ってもらうために、中学生の職業体験や、高校生アルバイトの受け入れを積極的に行ってきました。地元に帰って来て、地域を担う若者がいるのは、南三陸町で暮らしている人々にとって、良いモチベーションにもなります。現在の中学生も、あと5年すれば大学生。10年もすれば、町を任せられる存在になるので非常に頼もしいですね。」 宮本さん「実行委員側も、つい『前回と同じものでもよいのでは』という気持ちになってしまうこともあります。そのような時に、外部の方から励ましの声をいただくと、やはりもっと頑張らなくてはと思いますね。」 山内さん「宮本さんがいるおかげで、福興市全般の仕事を任せられる事務局体制が整っています。そこが私の安心できるところです。」 以上 2014年12月取材

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